渋谷にイノベーション・エコシステムを─ 不動産テックがもたらす、 持続可能な都市開発とは?
2023年7月、東急不動産はマサチューセッツ工科大学(以下、MIT)の産学連携プログラム(「Industrial Liaison Program」以下、ILP)への参加を開始した。MIT ILPへの本格的な参加は、日本の総合不動産デベロッパーとしては初となる。MIT ILPやMITの教授、関連スタートアップなど、MITエコシステムとの連携で目指すのは、広域渋谷圏におけるイノベーション・エコシステムの構築だ。
10月6日のイベントでは、渋谷エリアにディープテック領域のスタートアップ育成・支援を行う「(仮称)Shibuya Deep-tech Accelerator」の開設を発表。本年11月竣工予定の大規模複合施設「Shibuya Sakura Stage(渋谷サクラステージ)」に設置を予定しており、イノベーション・エコシステムの一つとして展開する。
開設にあたっては、MITの環境システム・材料科学エンジニアリングの教授を務めるJeffrey Grossman(ジェフリー・グロスマン)氏をアドバイザーに招聘。育成・支援の方法としては、大きく3つの取り組みを予定している。
一つ目は、MITエコシステムを活用した、国内外ディープテック・スタートアップ向け新規プログラムの提供。新たに共同で開発するアクセラレータープログラムをフックに、海外進出や資金調達、産官学の事業連携の機会をつくる。二つ目は、国内外の企業・大学とつなぎ、産官学連携の機会を提供する。三つ目は、連続的な資金提供。国内外のパートナー企業と連携し、将来的に約100ミリオンドルの共同ファンドを組成して、スタートアップの資金調達環境を整える。
MITエコシステム、東急不動産だけでなく、行政や学識、企業などがグローバルに連携して創り上げることを想定した、渋谷のイノベーション・エコシステム。イベントには、産官学から関係者が参加し、世界とつながるスタートアップ共創を見据えた講演や、トークセッションが行われた。その一つ、「不動産テックと未来の持続可能な都市開発」のセッションの様子をレポートする。
地球規模の大きな変化を見据え、イノベーションを生み出す土壌を育てる
トークセッションは、スティーブ・ワイカル氏の講演から開始。講演ではワイカル氏が、MIT不動産トランスメーション・ラボでどのような取り組みをしているか、グローバルでどんなトレンドがあるかなどについて説明。その中で、“世界規模でのイノベーションの重要性”について、語った。
「MIT不動産トランスフォーメーション・ラボでは、業界で何が起きているのか、DX(デジタルトランスフォーメーション)でどういう影響が出ているか、そして将来どうなっていくかなどを調査・研究しています。今、大きなトレンドとしては、気候変動、科学技術の大きなブレークスルーがありますし、これまでに見たことのない技術の登場や、社会地理学的な動きもあります。今後は、地球全体で大再編が起き、周囲の環境も変化するでしょう。」
ワイカル氏は、そうした変化に対応するためには、地球規模での発見や発明・イノベーションが必要であり、不動産業界もその中にあるという。
「地球規模というのはどういうことか、数字で見ていきましょう。マッキンゼーの調査では、既存エネルギーと土地利用のインフラをネットゼロするためには、2050年までに275兆ドルの支出が必要だと示唆しています。また、今後10年間で、全産業におけるDXの総合価値は、100兆ドルを超えるとされています。それから、AIとロボット工学により、2030年までに自動化される可能性がある米国の労働時間は約30%。そして、2025年までに設置されるIoTデバイス機器の数は、2022年と比較して約2倍の754億個になると推定されています。本当に、地球規模で大きな変化が起きると考えられますね。」
「それに対して、どこでどんな発見、発明、イノベーションが行われなければいけないのか。そして誰がそれを行うのか。私の同僚が、世界のどこでイノベーションが起きているかを示すマップを作成しました。アクセラレーター、インキュベーター、特許、コワーキングスペースが世界のどの辺りにあるかを表したものです。そうすると、様々な取り組みがボストン周辺で起きていることがわかります。日本は特許などの取り組みはありますが、これからより成長していくと考えています。」
さらにワイカル氏は、MIT周辺にある、Kendall Square(ケンドールスクエア)エリアがモデルとなると話す。
「エコシステムの発展において、ケンドールスクエアは非常に良いモデルとなる地域です。ボストンのすぐ西側、川を挟んだケンブリッジにあります。注目すべきは、一方に商業地区があり、もう一方にMITのキャンパスがある点です。実際に訪れてみるとわかるのですが、両者がとても融合していて、産業とアカデミアの境目がない。何十億ドルもの不動産価値が増え、世界からもどんどん資金が集まっています。
イノベーション・商業化の場所という観点では、約3万社がMITの卒業生によって設立され、現在も稼働しています。そして、これらの企業は年間1兆7,000億ドル以上の収益を上げています。これがこれからの渋谷にも起きていくでしょう。」
次に、不動産関連テクノロジーのスタートアップ、いわゆる「Proptech(プロップテック)」の成長と変化については次のように語った。
「Proptech(プロップテック)は、2013年時点では全米で12社ほどで、アメリカ国外にはあまりいませんでした。しかし10年経った2023年は1万5,000社以上となり、建設技術やホテル業界なども含めると、もっと多いはずです。VCの活動からも見ても、2010年は10億ドルでしたが2021年を見ると320億ドルもの資金がプロップテックに投入されています。不動産業界には、社会的にもビジネス的にも様々なチャンスがあると考えられているのです。」
「MIT発の会社でも、例えばBiobot Analytics(バイオボット・アナリティクス)という、下水インフラを公衆衛生の観測所に変える下水疫学プラットフォームや、家庭用アメニティを共有する仕組みを展開するTULU(トゥール)など、素晴らしいインスピレーションを持ったスタートアップがあります。
米ニュースメディアの「Law360」によると、不動産テクノロジーは、2032年までに1,200億ドルの産業になる可能性があるといわれています。これは非常に大きな数字です。今後はより大きくなり、2倍、3倍へと膨らんでいくでしょう。」
渋谷の開発から見る、持続可能な街づくり
スティーブ・ワイカル氏の講演に続き、4名の登壇者によるパネルディスカッションを実施。産官学の異なる立場から、持続可能な未来の都市開発について、意見を交わした。
<登壇者>
Steve Weikal(スティーブ・ワイカル)
MIT不動産トランスフォーメーション・ラボ インタストリーチェア
武藤 祥郎
国土交通省 都市局都市政策課 課長
小林 博人
小林・槇デザインワークショップ 代表/慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科兼環境情報学部 教授
黒川 泰宏
東急不動産株式会社 執行役員 都市事業ユニット渋谷開発本部本部長
<モデレーター>
金井 明日香
NewsPicks Brand Design
─(金井氏)小林さんにとって、「持続可能な街・渋谷」をどのように捉えているか、お話いただけますか?
小林 博人氏(以下、小林) : 渋谷も含めて“その場所”は、一朝一夕にできたものではなく、長い歴史の上にできています。そこにどんな営みがあったのか、土地や地形の持っている特性を理解して、その場所の魅力を育てる。それが持続可能性につながると思います。特にこれからの社会は、予測不可能なことがたくさん、それもかなりのスピードで起きてくると想定されます。そういう時代だからこそ、その土地やそこで育った人という資源が大切で、街づくりでも「場所性」を継承していくことが基本になると考えています。
─街に根付いた歴史と、そこに暮らす人が中心になっていくのではないかということですね。武藤さんからもお話を伺えますか。
武藤 祥郎氏(以下、武藤) : 持続可能性は英語でサステナビリティですが、環境なのか継続性なのか、これまでは意味が少し曖昧でした。ただ、COVID-19を経て、この2つが近づいてきたという認識があります。両方を求めるのが、サステナビリティだと。地球温暖化に伴う異常気象が世界各地で起きていて、未知のウイルスによる感染リスクもある。人間が使ったエネルギーによる環境悪化が実感されるようになりました。その発生源でもある都市を、改善していく必要があると考えています。
また、“街に行く理由”も必要になってきました。5類移行後、日本ではかなり職場に人が戻ってきていますが、世界的にはまだまだ戻っていない。そういう中で、働くだけじゃない、街に行く理由が必要というのが世界的なトレンドです。都市局としても、環境の変化を受け止めながら、緑地化を含めた魅力的な街づくりにつながるよう、施策を検討しています。
原点は人と人のつながり、その先にテクノロジーがある
─地球規模の環境変化がある中で、持続可能な街づくりの実現に向けて、テクノロジーをうまく活用していく必要があるかと思います。テクノロジーを街づくりにどう活かすか。ワイカルさん、その辺りいかがでしょうか。
スティーブ・ワイカル氏(以下、ワイカル) : テクノロジーといっても様々なソリューションがありますよね。まず材料工学。例えば発電する塗料やコンクリート、低炭素コンクリートなどですね。ビル運用を効率化する、センサーやハードウェアもあります。最近の面白いテクノロジーでは、空調システムで脱炭素化し、集めた炭素を別のビルで活用するといったものもあります。サステナビリティの定義にもよりますが、テクノロジーを活用することで多方面の対策ができると思います。
もう一つ重要なのは、テクノロジーに圧倒されないことです。多種多様なテクノロジーを学び、使いこなすことは大変です。ですが、テクノロジーがうまく機能しない理由が、使う側の人間にあるということもあります。問題をしっかり見据え、適切なソリューションを活用する。そして、関連する人間についても忘れずに考えることが必要です。
─課題把握やリサーチだけでなく、人まで考えた活用が必要ですね。小林さん、先ほど場所と人の重要性についてお話いただきましたが、その観点からワイカルさんに訊きたいことはありますか。
小林 : 昔は街に働きにきて、しゃかりきに働いて疲れて帰るというのが主流でしたが、ここ数年で働き方が大きく変わりました。今は、何をしに街に来るかを考えて、人に会いに来ることの大切さが見直されています。都市はもともと、人が集まってアイデアが集まり、お金が集まり、技術が開発されてきました。だから、原点に戻ってきたともいえます。人に会うことで生まれる、リアルなインタラクションを期待して街にくる。そういう出会いを誘発するテクノロジーはあるのか、どうテクノロジーが活用できそうかをワイカルさんに伺いたいです。
ワイカル氏 : 世界的に見ても、何か理由をつくってあげないとオフィスに来てくれない傾向はあります。オフィスをリゾートのように、自宅よりも良い環境にして出社してもらうという会社もありますね。
一方で、小林さんの話にあった、人と会うことは大変重要なことだと思います。自宅で働くことの生産性の高さもありますが、潜在的な生産性がまだどこかに残されていると思っていて、それが、人と人のやり取りで発揮できるのだと思います。MITのプロキシメイトプロジェクトという研究では、人と一緒に働かないことで生産性が落ちるというデータがあります。人が街に集まるには、何か理由が必要ですが、人と会うこともその一つになり得ます。人と人のつながりに加え、テクノロジーを活用したできるだけシームレスな環境をつくることも大事です。
小林 : テクノロジーも結局、人に起因するということですね。渋谷を含めた街は人がいることが原点であり、テクノロジーがそれをサポートするという形が正しいのだろうなと思います。
─武藤さん、国としてはテクノロジーをどのように街づくりに活かそうと考えていますか。
武藤 : 私はデジタライゼーションを担当していて、国土交通省では3D都市モデル・デジタルツインのプロジェクト「PLATEAU(プラトー)」の統括をしています。そこでも、デジタルツインを取り巻くスタートアップのエコシステムの形成が大きなテーマで、検討を進めています。
人と人との出会いを促すものとしては、数年前から「ウォーカビリティー」に取り組んでいて、国の政策として推進しています。一方で、ウォーカビリティーがイノベーションを生み出すかという点については、海外では、「イノベーション地区」の動きがありますが、日本の国レベルではまだ検証ができていない。先ほどワイカルさんがプロキシメイトプロジェクトのお話をされていましたが、非常に面白いと思ったので、そういうものも取り入れながら国の政策にしていけたらと思っています。
街づくりにスタートアップをどう巻き込むか
─今回、MITエコシステムと東急が渋谷をスタートアップのハブにしようと連携を発表されました。黒川さん、持続可能な街づくりにおいて、スタートアップを巻き込む重要性について、改めてお伺いできますか。
黒川 : 街づくりにおいて、産業育成は非常に重要なファクターです。新しいモノが創造され、それを継続できる街になる。そこにスタートアップの力を活かしたいと思っています。今回のMITエコシステムとの取り組みは、本当の意味でのグローバル基準のイノベーション・エコシステムを構築できるチャンスです。渋谷が世界的なスタートアップのハブを担える可能性があることを、嬉しく思っています。
─MITでは長年スタートアップ支援を続けられています。ワイカルさん、スタートアップが大きく育つためには、どんな環境・要素が必要でしょうか。
ワイカル : 私が渋谷に来て感じたことですが、ここにはすでに様々なイノベーションの文化が根付いています。ポイントは、渋谷が日本国中・世界中から才能を集められるかです。今はオンラインで世界のどこからでも仕事に参加できますが、渋谷に才能を呼び込むために、どう魅力を高めるか。そのエネルギーや素質は十分にあります。
渋谷には、産官学、VCなど様々なプレイヤーのサポートがあり、街には文化的な要素もあります。住居面も整備されていますよね。世界的に家賃が上昇傾向にあり、ボストンでも家賃が払えずスタートアップが出て行ってしまうケースがあります。家賃を下げる方法もありますが、その他の魅力をつくることでスタートアップを活かしていく。渋谷にはそのための要素、エネルギーがあります。
─スタートアップを育成する上で、リアルな街・場所がもつ価値は、どの辺りにあるのか。黒川さん、いかがでしょうか。
黒川 : イノベーションを起こして新しいモノを創造するには、やはり人と人が会うことが必要で、それは変わらないと思っています。「人と、はじめよう。」というメッセージの元、今年5月に立ち上げた「PROJECT LIFE LAND SHIBUYA」の取り組みは、まさにその一つです。まだ名の知られていないクリエイターなど異業種の方々と協業することで、今まさに新しいモノが生まれています。
また、我々はデベロッパーでありリアルの場を持っています。人と人とのつながりをつくりながら、リアルの価値を上げて、デジタルと融合させる。そういう仕掛けや環境づくりもこれから取り組んでいきたいと考えています。
─小林さんからもお伺いできますか。
小林 : 元気のあるスタートアップが来るのは、それだけで人材を集めることになります。エネルギーを持った若い人が集まって、さらに人の出会いを誘発する。それが結果的に、人と人が出会う場所をつくることになるので、渋谷はその意味ですごく強い、他にはない価値があると考えています。
それと、都市の魅力は人と人の出会いに限らず、モノとの偶発的な出会いもあると思います。例えば本屋に行って、買おうと思った本を探している間に、別の本に興味を持つといったようなセレンディピティ。そういう出会いも都市が持っている大きな魅力だと思うんです。わくわくできる街に人が集まり、人やモノと出会って新しい文化が渋谷に生まれていくことを期待しています。
─一方で、スタートアップを軸にエコシステムを構築する中で、壁にぶつかることもあると思います。今後、どんな壁が現れ、それをどう乗り越えるか。ワイカルさん、その辺りについてお伺いできますか。
ワイカル : 事業が成功していると起きる問題もあります。例えば、オフィスが狭くなる、家賃が上がる、制約ルールが増えるなど。それにより、スタートアップが外に出ていってしまう。街の仕組みを構築してそれを続けることも大切ですが、さらに先にイノベーションを進めていかなくてはいけない。そのために、リソースを投入し続けることです。我々もイノベーションしていかないと、街もイノベーションできないし、人も集まってきません。
多方面から力を集め、渋谷に世界基準のエコシステムを創る
─今回のMITエコシステムと東急の取り組みは、様々なプレイヤーが集まる点がポイントだと思います。武藤さん、産官学が連携して街づくりを進めることの意義について、改めてお伺いできますか。
武藤 : 産官学の距離が近いことに意義を感じています。現状国内では、大学と研究所、企業の位置が離れています。本当は産官学がもっと近い場所にいた方が良い。今回、MITエコシステムと連携したことで、国内の大学もここにサテライトオフィスを持って交流することもできるようになります。ただ、コワーキングスペースでも、20m離れるとフロアが分かれた感覚になるという研究データもあるので、どのように近づけるかも工夫が必要です。国としては、そういう街づくりをどう促進していくかを考えていきたいです。
─最後に、黒川さんから今後の展望、どういう未来を描いているかについてお伺いできますか。
黒川 : 渋谷を、グローバルで活躍できるスタートアップを育成できる場所にしていきたいと考えています。またそれをフックにして、人を集め、新しいモノを生み出す動きをどんどん広げていきたい。MITエコシステムとともに、世界基準のディープテック領域のスタートアップ育成、支援を行っていきます。我々だけで成しえることではないので、みなさんと一緒になって、創り上げていきたいです。
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